2011/05/04

三陸海岸大津波 を読んで−2

本の紹介を書いていたら長くなったので
感想を2本にわけました。

吉村さんのこの本は何度も書いたように
この本を1970年に完成させているので
今回の津波について書かれていません。

今回の津波では
「これより下に家を建てるな」と書かれた石の下までは水は来たけれど
それより上に家を建てた人は大丈夫だったとか、
学校に避難路を造らねばならないと訴え続けた市会議員のおかげで
子供達が救われたなどと、昔の言い伝えによって救われたニュースで
どちらかというと明るいニュースが何度も繰り返し放送されたりしました。

しかし、
昭和8年の津波による被害をうけて巨大な防潮堤が作られた田老町では
その壁を過信して逃げるのが遅くなったと言われています。
また、前兆と教えられていた数々の事が今回は事前に起こらなかったので
津波を関連づけて考える事ができなかったとも言われています。

そう考えると
私たちはどこまでも天災の前に無力であると言わざるをえません。

毎回、津波が起こる度に高所への移住が勧められますが
いつ起こるかわからない津波のために強制的に全ての人々を動かすことは
難しい話です。

子供の頃、とても厳しい寒さや暑さの中で生活しなければならない人や
津波など天災が何度も襲う場所、差別をうけるといわれている所に住む人たちが
どうして引っ越しをしないのだろうと不思議でした。
しかし、大人になってみると、先祖から受け継いだ土地、やっと自分で手に入れた家を簡単に捨てたり逃げる事は出来ない事。毎日生きて行くための仕事。学校。様々なしがらみと友情。そこで生きる事が全てだと思える事。
そういった事が深く理解できるようになりました。簡単に捨て去る事ができない物や事柄が増える事が生きて行くということなのでしょう。

海の恵みに感謝して生きてきた人が多い三陸海岸の人々が
今は絶望していたとしても
海を捨てては生きていけないに違いありません。

それにしても
私たちの知恵はどこまで有効なのでしょう?
毎回、同じ津波でも姿を変えて襲いかかる高波。
過去のどの津波の予防方法を学んだとしてもそれとは違う姿を見せる海。

記述があるだけで18回と今回、19回もの津波が三陸に押し寄せているのに
これを想定外と呼ぶのはあまりにも学習が足りません。
しかし、私もこの本を読むまでこれほどこの地域に津波があるとは知りませんでしたし、私が住んでいるところからは遠いからか、情けない事にきっと歴史や地理で学んでいたであろうのに三陸に津波が多い事を覚えていませんでした。

のど元すぎれば。。。
どんなに悲しいことやつらい事も忘れてしまうのは
人間とはなんと愚かなのでしょう。

吉村さんがまだ生きていらしたら
どのように今回の津波を書き記し私たちに何を伝えてくれたのか
読んでみたかったです。
この津波後の増刷分の印税を妻で作家の津村節子さんは
被災地へ寄付する事を決められたとの事。
http://www.sakigake.jp/p/special/11/eastjapan_earthquake/news.jsp?nid=2011040901000028

この警告の書でもある三陸海岸大津波を読んで
天災を避ける事はできないこと、
だけど、私たちはその度に学び、復興し、強く生きてきた健気な民族である事を
強く思ったのでした。


写真は東尋坊

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