2011/03/27

知の巨人とお供した人 par1

長々かいていますが
ばんぱく散歩つづき

今回の万博散歩の一番の目的は
ウメサオタダオ展へ行く事だったのです。

みんぱくの入り口に入ろうとした時

研究者と話そう。
「1981年12月、梅棹先生ご夫妻のお供をした
モスクワ•中央アジアの旅
話者:加藤九祚(名誉教授)」
との看板が。

みんぱくの中のその講演会場を20分ほど前に通りかかると
老教授風のおじいさんが若い研究者2人とぽつんとたっておられ
少し寂しそうな雰囲気。
もしかしてお客さんが来ないのじゃないかしら?
言葉には出してなかったんだけど
なんとなく不安にかられた私たちは
その会場へと始まる少し前に行ってみたのでした。
すると満杯の受講者!!
奇跡的に2席があいており、私たちはそこへ座ったのでした。

おじいさん教授が出てきて
旅のスライドとお話が始まりました。
んんんん?
私たちはウメサオ先生とのエピソードがたくさん語られるのかと思いましたが
老教授の研究発表?
というよりも
旅で見てきた物をあんまり上手くない写真で
ただただ説明する。。。みたいな。

親戚のおじいちゃんが海外へ行ってお土産をもらいに行ったら
写真をめちゃくちゃ見せられたような感覚?
それもあんまり興味のない トルクメンとかキルギスとかw
途中からは眠くなってうとうと。
まあ朝から活動してたし疲れも半端ない感じだったんだけどねw

梅棹先生のエピソードはどうしたん??
と思ってたら最後の10分ほどかけあしで
先生ご夫婦の写真を何枚か紹介しただけで終了。
ちょっと思ってたのとは違ったなあ。
体力回復はできたけど。
(しかしこの先生は民族学会では有名人だそうです )

その老教授、加藤先生の話を聞いていると
民族学って外国へ行ってお土産を買ってきてそれを並べて
旅行記を書くのと何が違うんだろう?
それをつきつめたものが民族学って言うんじゃないかと思えてきたのです。
昔は、外国へ行ける人は恵まれた人か頭のいい人かのどちらかで、
そんな遠い国の話を伝えることがありがたがれたのでは?
まるでおとぎ話のように。
最近は民族学は文化人類学に名前を変えているようだけど
今はネットもあるしweb上ではどんな物でも見れる。
そう考えると世界はどんどん小さくなるし
グーグルストリートビューでどこへでも行ける(ような気になるw)。
もしかしたら民族学は仕事を終えたのではないかしら?
と、ネットだけ見てたら思えそうだよね。

だけど、やっぱり世界に出てみるとブラウザ上で見てるのとは全然違うし
みんぱくに並べられた物達を実際に見ると
それたちが何かを語りかけてくれそうな気がする。
それがチープなものだったり
素朴すぎるものであっても。

これからの民族学は紹介者ではなくて
このグローバル化した社会の共生の仕方を
民族の違いを容認しながら考える。。。みたいな事をやっていくのよね?
違う?間違ってたら教えてw

みんぱく内はこの講演をはじめ
うめさお祭!で
民族学者 梅棹忠夫の眼 
って写真展とかもありました。

流石、民族学者。
人物の写真ばかり。いい顔です。

そして。その日最後の博物館。

ウメサオタダオ展!
みんぱくの別の入り口から入る特別展です。

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