2011/03/19

不謹慎すぎる思い出

結婚してあんまりお金がなかった頃、
旅に出たかった私はとても小額で旅行へ行けるツアーを新聞の広告で見ました。

それはバスツアーで確か2千円ぐらいで行く
若狭湾の海の幸と原発を見学するものでした。
10年以上前のことです。

朝早く三宮の駅で集合し
レストランで海の幸を食べて
確か大飯の原発へ行くものでした。

福井県の若狭湾には原発銀座と呼ばれるぐらい
関西の電力の大部分をまかなう原発が並んでいます
あの悪名高きもんじゅを含めて15基。
そのおかげであの辺りは関電からの補助が出ていて
分不相応な建物がたくさん建っているのです。
もちろん、このツアーにも関電の補助があったんだけど。

原発に行くと
まず大きな見学用のホールで
原発の仕組みの動画をみたりします。
結構かわええ女子のコンパニオンみたいな子が案内します。

その後、バスに乗って
たくさんのたくさんの金属の門を通ります。
門と行っても観音開きでなく
SF映画みたいに
金属でぴったり合わさっていてそれが左右に開きます。

何度か門をくぐって
そして原発の中へ入るのです。
あのときはよくわかっていなかったのですが、
今、テレビで何度もみてる図から考えると
あの1号機とかの箱の中へ入ったようです。

その時に
きっと、この中で核融合が起こっていますって事を
説明されたのだとおもうのですが
全く覚えてません。

だけど、ガラス越しに
すっごい青くて美しすぎるプールを見たのです。
透明度がものすごくて
棒が何本も沈んでいました。
まるで、泳げそうなブルーのキラキラしたプールでした。
いや、ほんと、
その水の美しさが恐いぐらいだったのです。




それが今回のあのプールです。
使用済みの核燃料の棒を沈めていた。

あの恐いぐらいのきれいさに、何かあるんじゃないかと
ずっと忘れられなかったのです。
でも、きれいだなんてそう思った自分が今となっては恥かしい。
あのツアーに行ってしまった事も。

実家の舞鶴は若狭湾の隣にあるので、
原発の事を考えると恐くなります。

安全神話とか絶対の安全なんてない事が今回の事故で証明されました。
原発は安全に動いてその勤めを終えたとしても
それから何十年もその原発を隔離して置いておかないといけないとか。
これからこの何十基もの原発を未来のたくさんの誰かに託して
ずっと安全にそのままにして置いてくださいとお願いしつづけなければならないなんて。
例えば少し前の話どうやって戦争に突入したかという、すごく大切な事柄ですら諸説あったり記録がなくなったりしているのに、
その「ずっと安全にしておいてね」って注意をわからせ続けることができるのか?

今も放射能のなかで命を顧みず
働く人々。
デマを含め、いろんな情報に恐れる近くの住人たち。

早く原発の事故を解決する、すばらしいアイデアが出ますように。
早く心の平穏が原発の周りの人々に訪れますように。

そうしないと、復興への取り組みに集中できないと思うから。

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