2011/12/28

アマデウス もみてきた

タクシードライバーを終えて、そのまま阪急で梅田へ。
同じtoho系だけど一日中、朝十時の映画祭を上映してる
トーホーシネマの梅田で1984年の映画、
アマデウスのディレクターズカット版を見てきました。
181分あります。長映画です。

この映画ほど誰もが名作だと言える映画ってないんじゃないでしょうか?
時代考証、音楽、衣装、演技、役者、脚本、オペラ、
そしてモーツアルト!
どこをとってもすばらしい!
重厚でいてテンポもよく洗練されている。
一目見たら、名作であると理解しやすい映画ですね


84年当時と比べると20分ほど今のディレクターズカットは長くなってますが
これは、ネットで見た所、いらないと考えてる人が多いみたいですね。

さて、84年、
私は中学生で映画を劇場では見ておらず、
テレビでやってたのを次の年に見たのが初めてのアマデウスでした。
その当時、年数だけは長いピアノを習いに行っていました。
ピアノを習ってたのは田舎の先生にしては
京都芸大を出て、基本に忠実で真面目でとても頭の良い洗練された
厳しい方で、
例えば、JAZZ PIANO とかは認めないような先生だったのです。
私は、アマデウスをテレビでやった次の週に
「先生、アマデウスを見ましたか?」
と尋ねると、
「先生は音楽を楽しむ事はしても、そういう、非ドキュメンタリーな物は音楽に関しては見ない」
と言われて、が====ん、となったのを覚えてます。
中学生の私にもあの当時の頭でわかる豪華さ、あの頃のヨーロッパの素敵さを
語りたかったのに、、、本当に残念でした。
まあ、私はあの頃からメインカルチャーでなく、サブカルチャー寄りだったと言う事なんだと思うんですけどね。

この映画には
モーツアルト、
先輩のオーストリア皇帝ヨーゼフ2世に仕える作曲家のサリエリ、
モーツアルトのお父さん、という3人のキーワードな男が出てきます。

天才ですばらしい閃きと卓越したテクニックで瞬間的に
すさまじい音楽を作り出しながら内面は若くて下品で粗野なモーツアルト。
努力家で真面目に女性と交わる事すら排除して音楽と皇帝に仕えるために
登りつめてきたサリエリ。
自分の息子の天才さを信じて子供の頃から熱心に彼を指導し導き彼を支配したお父さん。

恋愛以外で
それも男同士で
「嫉妬」するものだと
男はその人の才能に嫉妬するのだと
私に教えてくれたのはこの映画が初めてだったような気がします。

サリエリのつらい所は
モーツアルトが大天才であることを誰よりも深くわかっている所。
モーツアルトがヨーロッパ一の大音楽家だとすれば
サリエリはヨーロッパ一の大鑑賞者。
そしてその上、自分自身も音楽家であるというのが
心をずたずたに引き裂かれて仕方がないと思うのです。

この映画は史実とはかけ離れてることもあるらしいけど
サリエリ毒殺説、も本当に囁かれたそうで
実際のサリエリも映画とおなじような人であったのでは?
いや、そうあって欲しいとすら思います。
もし、本当にサリエリがモーツアルトを殺してしまったのであったなら
一番、モーツアルトがいない世界を淋しく思ったでしょうね。




サリエリの一番かわいそうなとこ↑
いつまでも楽譜を留めていたリボンを持ってる所が泣ける

アマデウスは絢爛豪華なバーティとか
実際のオペラとか、素晴らしく荘厳な映像と音楽が
スクリーンいっぱいに広がって、
それはそれは美しいのですが、
見終わって思い出すのが、いつも
最後の共同墓地に捨てられるあの、場面なのです。

あのような天才も
死んでしまったら
ただの死体でしかない。

それはそれは悲しい終わり方ですよね。

だけど、彼の音楽は何世紀も時を超えて
世界中の人が聞かない日はありません。

あれだけお金に困っていたモーツアルトに
著作権料が入ってたらなあ(ぼんやり
でも、あの頃は、そういう音楽の著作権的な考え方は全くなくて
金持ちがそういう音楽を作れる人を召し抱えて
音楽の教師にするというのが、お金を得るための方法だと言うのを考えると
ああいう、型破りな人には勤まりそうにもなく
生まれる時を間違えたとしか思えませんよね。
彼の場合、きっとその生まれた時代にあった
最先端のオンガクを作れた人であったと思うので。

さて、アマデウスを見ると
いつも1人の男を思い出します。
そう、マイケル•ジャクソン。
彼もお父さんに小さい頃から見込まれて
世界中を引きずり回されて
一度は音楽で天下を取って
最後、悲しい死に方をした人でした。

0 件のコメント:

コメントを投稿