2011/01/07

ウフッツイの自画像展

美術館へ行ったり
本を読んだり
映画をみたり。
そういうライフログをとって、年末に今年は何本見た。
なんて
言いたいと思うんだけど、それがなかなか できません。
先にtwitterでつぶやいちゃってそれでokみたいな気になっちゃうのが
悪い。わかってる。今年こそ直すぞ。
evernoteにメモすればいいのかなあ?
そして年末に高々と発表したいけど。。。

さて、今年1本目、水曜日に中之島の国際美術館へいってきました。




今、HPを見ると
ウフィツイ美術館 自画像コレクション展 が正式名称でした。
私の発音!では今まで ウフッツイ だったんだけど間違いだったのかしら?
今までの人生で何度か訪れた事のある美術館なのに
そんなコレクションがあったとは知りませんでした。
ボッティチェリのビーナスの誕生やプリマベーラみたいな
有名作品に目を奪われ過ぎですね。

自分の顔を描く、それを発表するというのは
少し恥ずかしいことのような気もします。
自分に向き合うのはとても照れますよね。
美容院で濡れタオルをまかれて顔だけになった私と対峙する時に感じる
自分ではないような、だけど紛れもなく自分。
それを描くなんてすごいな、作家の人たちは。
見つめ過ぎて見失ったりしないのかしら?

ウフィツイ美術館には、画家が自画像を寄付する、または画家に寄付してもらうようにお願いする事によって出来た自画像コレクションがあって、
それの一部が中之島の国際美術館に来ていたのでした。

途中、大きな絵で昔、コレクションが始まった頃の展示の模様を描かれてるのがあって、多分実物大よりもちょっと小さいぐらい?、
よくある昔のルーブルなんかの壁一面が絵と額で埋め尽くされている感じ、
その絵がおもしろかったの。
あの展示方法って西洋と東洋の違いなんだろうな。
今でもよく欧米の映画なんかをみると
写真で壁一面が埋まってたり机の上に写真立てをわさわさ並べたりしてるじゃない?ああいうのって向こうの美意識なんだろうな。
それと比べて日本だと床の間に一服の掛け軸。
いえ、私は掃除下手なので机の上に何もないことにはなってませんが、
清浄で研ぎすまされた美へのあこがれはちゃんと持ってますよw

知らない人も知ってる人も画家の顔が並んでいます。
その横にキャプションがあって、それに普段の絵も一緒に並べてたので
それを見たら知ってる人もかなりいました。
キャプションにはその画家についてとこの絵がどうやって美術館へたどり着いたかが書いてあり。。。
それで最初のちょっと自画像恥ずかしい論に通ずるのかどうなのか
頼まれてすぐ届ける人、
かなりこばんで寄付する人、
その時代のある国の第一人者が寄贈したらその後、その国の自画像が増えるきっかけになったとか。
遺族が寄付する人。
などなど、彼らの心の中の小さな葛藤が透けて見えるようで
ちょっとおもしろかったんだけど、
それを本物の絵の横で読むのは余りどうでもよい気がしたのです。
変に勘ぐってしまいそうで。

この前、うちのギャラリーを使いたいっていう若いイラストレーターの子が
ファイルを見せてくれたんだけど、
その絵の半分ほどが自画像と自分の顔をちゃんと描いた自分と何かの絵。
プロフィールの写真代わりにデフォルメした小さな絵を見る事はあっても
自分の画歴を示すファイルに自分を描く人は珍しいので、ちょっとびっくり。
話してみるととても明るくてコミュニケーション力のある子で
なるほど、と思わせてくれたのでした。

私がその事をすごいねっていうと
ある画廊の人に
「自分の絵ばかり描いてても売れないよ」
って言われたとか。
確かに!!!
自画像に値段がつくってすごい事だと思いませんか?
例えば 誰かの顔を飾るのって
それもそこで絵を売っている人の顔を飾るってねえ!
そんな、色々を考えさせられる自画像展だったのでした。

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