2010/11/09

ピカソと写真

あまり日記には書いていないのですが
最近、よく天保山のサントリーミュージアムへ行ってます。
ご存知の方も多いとは思いますが
今年いっぱいで閉美術館になってしまう
サントリーミュージアム。
私は行った事のある安藤建築では一番気に入ってるのが
サントリーミュージアムだし、
あの海と夕日を見ながらワインを飲むのも最高だし、
日本最大のIMAXはあるしで
ちょっと離れているけど
そこもまたレジャー気分でいけていい空間だと思っていたんだけど、
さようなら。
寂しいですね。

閉館と言ってもその後日談で
大阪市に無償譲渡、収蔵品も貸与扱い、7億円の寄付付き!
サントリーと大阪市とで話がついたという事で
美術館として続いて行くらしいのですが、

この高待遇からしても
美術館の経営と運営は難しいものだと
ARTをメセナという観点からでも一企業がやり続ける事の大変さを感じます。
サントリーみたいに上場してなくて
ワンマンで文化を大切にする会社ですらこれだもんな。
そして、これからは大阪市がやるということで。。。。
その先は申すまい。様子見だ。

そのサントリーミュージアム閉美術館のため
ミュージアムショップでは過去の美術展の図録を格安で販売しています。

だいたい、私が近くで見る本でこれは高いと思うものと言えば
歌舞伎の番付(パンフレット)と
美術展の図録。
番付は買っても図録はまず、買う事がないんだけど。
だって、高いし!重いし!!

その図録が500円から1500円で!販売しているのです。

安いから買うのかと聞かれれば、そうなんですが!


 先日に行ったときは、
ロートレックのポスター展のと
日本のガラスの歴史展のと
ピカソと写真展
この3冊を買ってきました。

上の2つはプレゼントしたのですが
ピカソと写真展は自分用。

先日のマンレイ展以来、色々と調べてみると
一般の人がカメラを持って写真を取り出したのが
1900年頃。
もちろん、一部の富裕な人たちや芸術家、記者などであったわけですが
スナップショットという概念がその頃にできたそうで
(間違っていたらすみません)
つまり、スタジオから外へカメラが移動したのです。

その当時、新し物好きの人たちは、きっとこぞってカメラを手にしたのだと思われます。

ピカソもその1人でセルフポートレートを撮ったり
作品の過程を写真家に撮らせたり
写真というものの面白さに気づいたり。

「私は写真を発見した。もう死んでもいい。もう学ぶことはない。」
パブロ・ピカソ 1910年

と言ってるように
絵はがきの写真から創造したり アヴィニヨンの娘達
写真からデフォルメしたり    バイオリンのキュビズムの絵
モデルを撮っておいて後で制作したり 

















と、写真という新しい技術からかなりの啓示を受けているのです。

あの、多作な作品達が描けたのは
写真のおかげであると言ってもいいのではないかしら?
いちいちスケッチせずとも
1枚の絵はがきから構想を膨らませる事ができたのだから。

私が一番びっくりしたのは
有名なキュビズムの作品にもちゃんとモデルがあって
それを写真に撮ってる事。
空間にバイオリンを浮かせていろんな線と共に撮影したものもあって
びっくりした。
















ああいうキュビズムとかの写真って
感性とヒラメキのまま描いているのかと思ってたけど
ちゃんとネタ元があるのね。
同じ物を見たときにどう見えるかが芸術家と凡人の分かれ目なんだなあ。

この展覧会は1998年の6月に行われたもので
その当時の私が見たら面白く感じるかどうかは
わかりませんが、
行きたかったな〜なんて。
もしかしたら、行けない展覧会の図録をじっくり見る方が
心に残るのかもしれないな〜。


最後に、
きっと、美術館の倉庫には過去の図録がたくさん眠っているんだと
今回のサントリー閉館で思ったのでした。
例えば5年とか経った物はこんな風にSALEして売ってもいいのではないかと。
そうすれば美術館も潤うし
みんなも喜ぶし保管場所も減って、そこに新しい作品を入れれるのではなくて?

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