2017/02/11

沈黙-サイレンス-を見ました。 #映映画

スコセッシ監督で遠藤周作せんせー原作の沈黙-SILENCE-を見てきました。


これは私たちの映画の会の2月の課題映画なんですが、そうでなくても絶対見たいと思っていた作品でした。昔からスコセッシが沈黙をやるらしいという話は聞いてたけど、その間にウルフオブウォールストリートとかおばかな映画もたくさん撮ってるからもうこう言う真面目なんは忘れちゃったのかなあと思っていたんです。

でも、やりました。やり遂げましたスコセッシ。なんでも台湾で撮影されたそうですが、そんなに日本のあり方に不満がない描き方。そして、一番すごいなあと思えるところが、こんな外国人と日本人が出てきて、日本語で演技をするとき、いや演技以前に滑舌が悪くて何を言ってるのかわかんない場合が多いんだけど(この前のXMENのカタナとかHEROのドラマのマシオカとか。。。)でも、今回はちゃんと日本語でも演技をしているってこと。当たり前やけどできてない映画、多いんやもん。やっぱりこういうのを見ると、スコセッシが日本文化と遠藤周作先生に尊敬して造られた映画だなあと思いますよね。

もちろん、手放しで褒めるわけではないよ。例えば、キチジローの窪塚をみんなが褒めるけど、とても原始人的出で立ちでちゃらけて見えるところがどうも気になる。特に髪の毛、あれって地毛じゃないよね?黒々としすぎて彼の事まで嘘っぽく思えるんよね。原作だと、ロドリゴがキチジローを疑惑の目でしか見えず、彼を愛せないことへの自分の小ささへの苛立ちが何度も繰り返されるんだけど、そういう、ロドリゴの葛藤が映画では描けてないと思う。これは、キチジローがロドリゴにとってはユダであって、イエスはユダをも愛して認めていたこと、「なすべきことをなせ」とユダに語れたのはなぜかどう理解するのかという問いがこの物語の主題だと私は思うので、もっとキチジローを愛したり憎んだり怖がったりする場面が欲しかったなと感じるんだよね。ロードオブザリングのフロドがゴラムに対して思う気持ちの揺らぎぐらい描いて欲しかったな。そう思うと、やっぱりあのロードオブザリングは聖書物語だなあと思うよね。。。(それについては前にブログで書いたことがある

この沈黙という作品は聖書を知らなければ、遠藤周作の凄さにたどり着くことはできないし、面白さも全くわからないだろうな。この巧みさは、ベン・ハーと同じぐらいすごいと思う。沈黙を読みながらも頭の中では聖書の有名な場面や宗教画を幾度思い出したことか。。。そう考えると同じくカトリック信者のスコセッシがこの日本のカトリック作家の書いた沈黙に出会った時の感動は私の比ではないだろうなと思う。28年間もひつこいぐらいにこの作品を作ろうと思って努力したことが、彼のライフワークというか彼の宗教的な修行だったんじゃないかとさえ思えてくるんよね。だって、どう考えてもこの作品が興行的に大ヒットするような作品じゃないしねえ。でも、もう少しアカデミー賞の候補になってもよかったと思うけど。やっぱり真面目で極東の話なんてアメリカ人には受けないんやろなあ。

スコセッシはかなりこの作品をうまく映画にしてるけど、改変してるところもある。特に最後の終わり方はハッピーエンドでどうも気に入らない。原作の最後が読み難いのもどうかと思うけどねw
そして、ロドリゴが踏み絵を踏む時にバーーーン!とイエスの顔が現れて、私を踏みなさい〜!みたいにイエスの声が聞こえるところ!それが説明的すぎてげんなりしてしまった。足と踏み絵とロドリゴの顔の演技だけでよかったんじゃないかなあ。

篠田監督の古い方の沈黙も見ました。あっちの方が超改変してるけどね。あれはフェレイラの丹波哲郎が堂々としすぎてて、演技としては面白いけどこっちのリーアムニーソンの自信ない感じの方が好感持てたなあ。

映画を見て、原作も読み返したり、昔のキリスト教関連の持ってた本を読み返したり、同じく遠藤周作の「イエスの生涯」も読んだりして、若い頃にヨーロッパへ行って、美術館を訪ねた時に宗教画の意味がわからなくて、帰って色々とキリスト教関連の本を読み漁ってた頃を思い出しました。あの頃に頑張って勉強したことが今、こうやって欧米の映画を見たり、絵を見たりして違う視点を感じれるようになったことにつながってると思うとあの頃の自分を愛おしく思って褒めてあげたくなります。

ああ、最後に、遠藤周作も真面目な作品と一緒にユーモア小説も書いてるところが、スコセッシの映画の選び方にも似てるなあと思います。二人はカトリックという事だけでなくとても良く似た素晴らしいクリエーターなんじゃないかなあと思うんですよね〜!

採点)☆☆☆
(採点は星3つが最高にしたほうがいいと入江監督のメルマガが言ってたのでこれからはそれに習っています)



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