東京に行ってたけど関西に帰って来てデモに参加してる友人がいたり
震災からしばらくして、某有名ラッパーが反原発ラップを目の前で歌ってるのを見たり
と色んな考え方がある事は一旦外に置きます。
反原発デモについてぼんやりした感想を。
最近のデモは所属団体の旗をあげたり、プラカードを持つ事を禁じてます。
もちろん非武装。
もーちろん非暴力。
サウンドカーでDJと共にくりだして
祝祭のようにデモを盛り上げよう、などと言ってる中の人達もいますね。
そんな風潮は、このブログ
金曜日官邸前反原発抗議行動について(運動団体各位へ)
とか、
長いポッドキャストだけど Digの
「デモの声は届かないのか?」
この辺りを読んだり聞いたりしたら掴めるかと。
野田さんが
「大きな音だね」と言ったとか言わないとか
あれほどたくさんの人達が集まって訴えようとしているのに
音にしか聞こえない首相と
音としてしか感じさせられないデモのリーダー達。
うーん。
60年代や70年代の学生運動から始まった市民運動が行き過ぎてしまって人々の希望を失望に変えて、大志を持った人々を諦めさせてしまったのはよくわかってるつもりです。
だけど、こういうデモを真剣にやろうと思ったんなら気持ちは暴力覚悟、逮捕も覚悟するぐらいでやらないと届かないんじゃないの?政治家や官僚を焦らすぐらいの何かをしないとダメなんじゃないの?
被災地から遠くにいて、子供も一緒に楽しめるゆるふわなデモをやってるようじゃ何も変わらないと思う。ゴミを拾って帰るからエラい、とかそういう問題ではないと思う。
どうも、団体の旗を揚げない、というやり方が新しい方法を模索してるのではなく既存の市民運動のリーダー達にイニシアチブを持たせないためにやってるとしか思えないんよね。
毎週金曜日に首相官邸前に集まる何万人もの人々。これが続くと、色んな人が集まって来てるので鬱憤が貯まって爆発することがあると思うのです。その時に今のデモを率いている人達がどう対処していくのか、これがきっとこの反原発運動のキーポイントになると思います。世論がどちらに傾くかで原発の方向性すら決まるような気がします。
そんな日が、結構早く来るんじゃないかな?
デモのリーダーと政府、どちらもに覚悟はできてるんかな?
私は原発に関しては、次世代エネルギーを模索しながら「すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営む」ために中でも安全な原発だけを少数動かしつつ廃炉へ。という考えです。
動画は1968年の国際反戦デーの新宿騒乱
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